田舎者が東京で一人暮らしするということ

残業したあとの電車 人生

田舎から出てきて、今、東京でサラリーマンをやっています。今日はそんな話をします。

わたしが育ったのは、人口5万人くらいの小さな地方都市。田園が広がる盆地の農村地帯に生まれました。田園の中心を大きな河がゆったりと流れており、四方の山は四季折々の顔を見せてくれます。

そんなどこにでもある田舎。

18歳まで、そこで育ちました。大学に進学するまでは、ずっとそこで暮らしました。だから地下鉄なんか乗ったことはなかった。地方は車社会だから。

昔からそんなに目立つ存在ではなかったし、めちゃくちゃ優秀というわけでもなかった。クラスののお調子者に混じって、ゲラゲラやっている人間。それがわたし。

家にテレビゲームがいっぱいあったから、いつも友達が私の家に集まってきていた。あの頃は良かったね。スマッシュブラザーズなんか、毎日のようにやっていたよ。

わたしは結構負けず嫌いだった。母親が教育熱心だったから「みんなに勝ちなさい」「試験がんばりなさいよ」という感じで、かなり詰められていた思い出があります。そんな刷り込みのせいかな。負けず嫌いの完璧主義。

子どもながらに、少しでも偏差値の高い大学に行って、母親の期待に応えてあげたい。みんなを見返してやりたい。そう思っていたフシがある。

小さな田舎の高校だったけど、幸いにも進学コースというのがあったから、そこに入りました。進学コースとはいえ、しょせんは田舎の公立高校です。レベルはそんなに高くない。天声人語をまとめさせるような、よくわからない国語教師。英単語は3年生になってからで良いと主張する英語教師。チャート式を一冊極めるように力説する数学教師。

学校の授業だけでは絶対に望む大学に行けない。そう思った。だから自分で必死に参考書を買って、勉強しましたね。Z会なんかもやりました。懐かしいですよね、通信教育のZ会。通信教育で添削してもらえるんです。

そうして、どうにかこうにか、大学受験を終えました。結果としては、地元の大学と東京の大学に合格していた。どちらに進学するか、最後まで相当悩みましたよ。

地元の大学とはいえ、わたしが住んでいたのはド田舎だったから、実家から通学はできない距離なんです。もし家から通おうと思うと、なんと4時間かかるわけ。

どうせ一人暮らしをしないといけないなら、地元の大学も東京の大学も同じ。それなら東京の大学で良いんじゃないか。そういうふうに考えました。

こうして東京の大学へ行くことになりました。合格したのは文学部。将来なんて何も考えていなかった。親には感謝しています。喜んで学費を払ってくれましたから。合格したときは嬉しかったなあ。

東京の大学へ

東京の大学へ進学したのは良いけれど、田舎者だったから、とにかくついていけない。必要以上に緊張して、最初の4月なんか、誰とも話すことなく毎日を過ごしていたので、すごく寂しい思いをしました。

よく母親から電話がかかってきました。当時はまだガラケーだったなあ。

「東京は楽しい?」「授業はどう?」「友達できた?」

「うん、まあまあね」

最初の4月は、苦しかった。田舎者であるというコンプレックスだろうか。今考えれば、そんなに怯える必要なんてなかったのにね。馬鹿な18歳だった。

でも、5月にどうにかこうにか滑り込んだ文化系サークルで、人並みの大学生活を過ごすことが出来ました。でも、なぜか満足感はなかった。きっとやりたいこともなく、大学に来て、なんとなく過ごしていたからでしょうね。

ぼーっと過ごす日が多かった。サークルは楽しかったけど、それだけです。次に繋がるものもないし、スキルが身につくわけでもない。海外旅行やボランティアに行ったら世界が変わるなんてよく言われましたが、まずわたしは何にもチャレンジしなかった。大学4年間、ひたすら周りに流されて、ふわふわと目的も持たずに過ごしていったのです。

文学部は、やりたいことが無い人間にはかなりきつい。国文学、英文学、歴史学、心理学、考古学、ドイツ語もフランス語も中国語も、ぜーんぶ興味がわかなかった。

唯一、興味が持てたのは「社会学」だった。

浅く広く、なんでも研究対象に出来る。ああ、周りに流されっぱなしのわたしには丁度いい。社会学。社会なんて何もわかっていないわたしが学ぶ社会学。皮肉です。

母親の言いなりになって、ひたすら偏差値を追い求めて行き着いた先は、結局何がしたいのかわからない状態。社会学もすぐに飽きた。

就職へ

なんとなく偏差値だけで大学を選んだわたしは、やはり就職先もなんとなく選んだ。

30社くらいエントリーして、3社から内定をもらえました。口八丁手八丁で、どうにかこうにか手に入れた内定。フリーターにはなりたくなかったので、内定がもらえたときは嬉しかったですね。

でも、このとき、ふと不安がよぎる。

「このまま東京に就職して良いんだろうか。友達も少ない、身よりもない、彼女もいない」

それなら地元に帰って、親と一緒に同居したほうが安心ではないのか。情けない話です。希望を持って東京に出てきたはずなのに、現実的な問題が頭をかすめてしまう。

それでも、わたしは東京で働くことを選びました。とりあえず何年間か東京で働いてみよう。そう思った。

「とりあえず」「なんとなく」そんなふわふわした言葉ばかりを枕詞にして、自分に言い訳をして、人生の選択肢を決めてしまう自分が嫌になる。

田舎者が東京で働くということ

内定をもらった3社のなかから選んだのは、一番堅そうな企業。半分くらいは公的企業といっても良いかもしれない。そんな企業を選びました。まあ、仕事はそれなりに充実している。

でも、田舎者が東京で働くということは、想像以上にきつい。まず家賃が高い。給料の3分の1を持っていかれる。光熱費や通信費、これらもバカにならない。東京砂漠のなかで、たったひとりきり。お金も心配だけど、コミュニティがに所属していないのも、怖い。

友達がいないから、休日はいつもひとり。大学のサークルで出会った友人とはすぐに疎遠になった。全然会わなくなった。でも、地元に帰ってもきっと同じだったろうな。地元に就職していたとしても、家で家族と過ごしていたことだろう。

わかりきっていたことだ。友達を作るのが苦手なのだ。その点、中学校や高校はよかった。クラスがあるから。自分の席があるから。自然と友達ができた。でも、社会人は違う。自分から出会いを探さないと、いつまでたっても、ひとりぼっち。

東京で暮らしていると、サボりぐせがつく。家の周りにはたくさんの外食チェーンがあるから、自炊をしなくなった。自炊は面倒くさい。でも、栄養が偏るといけないから、毎日ヨーグルトだけは食べるようになった。自分でしっかり栄養を管理しないと、きっとそのうち栄養失調で倒れるだろう。

部屋の掃除も全然していない。ふとんの洗濯もしていない。掃除機もかけていない。自炊をしないから台所は汚れないけれど。

毎日、仕事を終えて帰ってくると、最近、寂しさがつのるようになった。もうすぐ30歳。そろそろ身の回りを固めていくときなのかもしれない。

自分から。自分から。30年近く生きてきて、自分で何かを決めるということがなかった。常に周りに流されて、自分の価値判断が出来ない。母親の言うとおりに生きてきた。自分で責任を取りたくないから、全部、周りに任せてきた。

そのツケが今、東京で一人暮らしをするなかで、眼の前に鎌首をもたげている。

東京にはなんでもあるけれど。自分から掴みにいかなければ、何もないのと同じ。趣味もない、交際相手もいない。毎日職場とアパートの往復で、何を信じて、何のために生きているのか。

東京で一人暮らし。東京砂漠。わたしはこうして枯れていく。

人生を変える勇気がほしい。行動したい。でも何も出来ない。生きるってなんだろうな。

ネットフリックスやYouTubeを見て、また一日が終わっていく。こうして人生が終わっていく。後悔、するだろうな。今でも後悔しているから。やり直せるなら、どこからやり直そうか。贅沢な妄想をしながら、今日は窓がじわっと濡れている。

東京砂漠に雨が降る。